精神的基盤

コリントの信徒への手紙(1)9章19~23節

(2022.5.25)聖隷クリストファー大学水曜礼拝奨励

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

説教題 『クリスチャンとしての自由』
先週金曜日に日本基督教団の有料老人ホームシルバーホームまきばの理事会があり愛知県日進市に行きました。そのついでに岡崎城に行ってきました。一つは、NHK大河ドラマの来年の作品が「どうする家康」であること。もう一つは「不自由と常と思えば不足なし」は徳川家康の遺した言葉で、それが岡崎城にあるので一度きてみたいと思っていました。福祉の仕事をしている中で好きな言葉の一つです。
「自由」について考えてみましょう。
一般的に「自由」とは、「強制されない」「束縛されない」「制約されない」「拘束されない」中に自分の置かれていることでしょうか。
「エゴイズム」という言葉がありますが、人はエゴのかたまりで、「自分中心」「自己中心」で生きています。その中の「自由」を求めます。
聖書にある「自由」それとは異なります。「クリスチャンとしての自由」は、思うまま、自分勝手にする「自由」とは違います。
十字の園は創立から60年が過ぎました。聖隷福祉事業団は90年が過ぎています。世代が移るたびに度に創業の精神、キリスト教の精神のことが話題となります。十字の園は、日本で最初の特別養護老人ホームと言われています。その創立の思いを、資料や展示、写真などで次世代に遺したいと思っています。そこで、毎月「ムッターハウスジャーナル」という機関誌を発行しています。2022年5月号に十字の園2代目理事長綿鍋義典氏の「創立の精神とその継承」を載せました。
十字の園の精神は即ち聖隷の精神そして、十字の園の原点は「キリスト者の自由」と記しています。
そこには、「十字の園初代理事長鈴木生二氏は十字の園の原点はマルティン・ルターが教えた『キリスト者の自由』のことだ。「すべての人が、神のゆたかな恩恵のなかに、この上なく貴い人格であるとするキリスト教的な愛の人間観。その神の愛のうちに包まれて、この世に生きる歓び。十字架の信仰により、一切の罪から解放され、自由な者とされた感謝。復活の信仰による永生の希望。キリスト者の生き方であり、聖隷の精神であり、またキリスト教社会事業の精神でもあるのです。」と記されています。
この言葉から、十字の園の理念の言葉として、
「この上なく貴い人格」から「人格を尊重し」、この世に生きる歓びから、「生きる喜び」、復活の信仰による永生の希望から「生きる希望」を、創造するから「創ります」を理念の言葉にしました。から、「人格を尊重し、生きる喜び、生きる自由、生きる希望を創ります」です。
本日の聖書は、ルターの『キリスト者の自由』から関係のある聖書箇所を選びました。
19節に、『わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。』とあります。「だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷」とは不思議な心境です。
コリントの信徒への手紙の筆者パウロの役目は、イエス・キリストの十字架と復活の信仰を皆に伝え、多くの人がクリスチャンになることです。
パウロの姿は「相手中心」「他者中心」です。
20節から22節では、『ユダヤ人に対してはユダヤ人に』、『律法に支配されている人には、律法に支配されているように』、『弱い人には弱い人のように』と言っています。23節では、『福音のためならどんなことでもします』とあります。
宗教改革者マルティン・ルターの『キリスト者の自由』の第一項目に、
「キリスト教的な人間」とは何であるか、またキリスト者にキリストが確保して与えられた自由とはどんな性質のものか、』とあり、
私はまず次の二命題を掲げたいと思う。その命題の一つは、
キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
第2の命題は、
キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。
聖隷の初代の青年たちは、このクリスチャンになってすぐに神からの命令を受け取り行動しました。それが結核の療養所の働きです。
私も、クリスチャンになって47年になりました。これまでいろんなことがありました。神さまに任せきるができないで、揺れたり曲がったりの時がありましたが、振り返ってみれば、神さまが誘導してくれた道を真っすぐに歩いてきました。何でもかでもすべて神さまに預けて、自由人となっています。遠州栄光教会三方原で毎月発行している「三方原の風」6月号にそんな心境を書きました。もうすぐ発行されますので、よかったら読んでください。

マタイによる福音書20章28節

『人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである』

ディアコニッセ(奉仕女)とは、一生を結婚をしないで神さまの働きをしました。キリストに仕え、人々に仕え、医療、教育、福祉のために仕えました。浜松十字の園は、この浜松ディアコニッセ母の家に属するドイツ人・ディアコニッセのシュベスター・ハニ・ウォルフによって創設されました。
ディアコニッセ(奉仕女)の生き方 第1イエス、第2隣人、第3自分
でした。
この「伝道と奉仕」のディアコニッセ精神は十字の園に受け継がれています。

社会福祉法人十字の園の聖書『夕暮になっても、光がある』
ゼカリヤ書14章7節【口語訳】

その日には、寒さも霜もない。そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これには昼もなく、夜もない。夕暮になっても、光があるからである。

理念の言葉

『人格を尊重し、生きる喜び、生きる自由、生きる希望を創ります』

「すべての人が、神の豊かな恩恵のなかにあり、この上ない尊い人格であるとするキリスト教的な愛の人間観。その神の愛のうちに包まれて、この世に生きる喜び。十字架の信仰により、一切の罪から解放され、自由な者とされた感謝。復活の信仰による永世の希望。」(綿鍋義典2代目理事長)
毎日礼拝でみ言を聞き、讃美し、祈り、主の祈りをする十字の園は、1 キリスト 2 福祉 3 職員

日本最初の特別養護老人ホーム浜松十字の園の聖書
コリントの信徒への手紙(1)16章13節
『すべての事、愛をもて行え
(何事も愛をもって行いなさい)』

ギリシャ語では日本語に「愛」と訳されるものに4種類あります。

1つは「エロス(eros)」で本能的な愛、肉体的な愛、主に男女関係における愛のことを指します。

第2は「フィリア(philia)」で友人の間の友愛のことを意味します。

第3は「ストルゲー(storge)」で親子や兄弟の間の家族愛のことを指します。

第4は「アガペー(agape)」で無条件の愛、無償の愛を意味します。

『雨にも負けず』のモデルとなった齋藤宗次郎の子どもは「愛子」という名前でした。
その愛子は腹膜炎で亡くなった時の最後に残した言葉は「神は愛です」と言ったそうです。

浜松十字の園の聖書
コリントの信徒への手紙(1)16章13節

『すべての事、愛をもて行え(何事も愛をもって行いなさい)』

『今、私の前にいる、その人の、すべてを、大切にします。』
○「今」とは、時間としての「今」であり、気持ちの上での「今」です。待たせることも、後回しにすることもできないのが福祉です。
○「私の前」とは、目の前だけではなく、いつも「心にかけている」という意味の「前」です。
○「その人」とは、私と私の前の人とは、一対一の関係になり、私を必要とする特定の「人」であり、私が必要とする特定の「人」です。
○「すべてを」とは、その人の歩んできた人生のすべてであり、身体も、精神も、家族も、病気も、今も、過去も、未来も含めた「すべて」です。
○「大切にします」とは、その人をありのままに受けとめ、慈しみ、包みこむことの意味をこめて「大切」の言葉を使っています。

アドナイ館、第2アドナイ館の聖書
創世記22章14節

「それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお『主の山に備えあり』と言う。」

アドナイ館は軽費老人ホームの一般型ケアハウスで、介護が必要になると外部の介護サービスを利用して生活できる施設です。第2アドナイ館は軽費老人ホームC型で、施設の中に24時間介護体制がある特定施設入居者生活介護(介護型)ケアハウスです。
アドナイ館の標語(理念)の言葉
〇自分らしくその人らしき生きられるケアハウス
〇自立の気持ちさえあればいつまでも住み続けられるケアハウス
※老人アパートのように住んで欲しいし、介護が必要になっても制度を使ってお世話を受ける
第2アドナイ館標語(理念)の言葉
〇自分らしく、その人らしく、生き生きと、
あなたの“生きる”を支えます。
※24時間365日介護体制があっても生きているのは自分です。

聖隷学園や十字の園、聖隷三方原病院病院の土地は、賀川豊彦が主宰する「イエス友会」の一坪献金運動で購入した土地です。
賀川豊彦の有名な言葉の一つです
一枚の最後に 残ったこの衣 神の為に 猶 脱がんとぞ思ふ
賀川豊彦も、1イエス 2隣人 3自分 で生きた人です。

ペテロの手紙(一)4章9~11節

(2020.6.10)聖隷クリストファー大学水曜礼拝

不平を言わずにもてなし合いなさい。あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。

説教題 『わたし』と『あなた』との共生

今日の聖書の箇所を含めた1節から11節までの見出しには「神の恵みの善い管理者」とあります。段落の7節には『万物の終わりが迫っています。だから思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい』と記されています。
終末が迫っているので、よく考え、軽々しい行動をとらないで、冷静に祈りなさい。
私は、昨年の3月で社会福祉法人十字の園理事長を退任し、経営と運営のすべてを後輩に委ねました。一昨年の70歳の誕生日に合わせて『創立の精神(こころ)の継承(バトンタッチ)』を自費出版して十字の園に残しました。その中で、わたしが十字の園に何が役に立つこととして、十字の園の創立をした浜松ディアコニッセ母の家と十字の園の資料館を創設し、ルーツを形として残すことだと思いました。
昨年の4月に浜松ディアコニッセ母の家を改装し、母の家と十字の園の歴史資料館を立ち上げました。十字の園を含めて、三方原地区にある聖隷事業団、小羊学園、聖隷学園に働く職員の中に、30年以前のことを知っている人が少なくなりました。日本で最初の特別養護老人ホームが十字の園で、それが浜松ディアコニッセ母の家にいたディアコニッセ・ハニ・ウォルフさんであったということを知っている人は多くいません。「浜松ディアコニッセ母の家」はどこにあるでしょうか?「ディアコニッセ」の名前を聞いたことがありますか?
理事長退任後、母の家・十字の園資料館のまだ公開されたことのない資料を掘り起こし、記録に残すようにしました。
そこで、昨年の6月から資料館だより「ムッターハウスジャーナル」を毎月発行し、今月で13号になりました。何年続くかわかりませんが、残された資料、写真を解析していきたいと思っています。
母の家日誌、母の家案内、カイザースヴェルト規約、会計帳簿、母の家教育ノート、ディアコニッセ志願の推薦状・作文等々
ディアコニッセ(Deaconess)とは一生をキリストのために仕えて生きる女性の称号です。日本では「奉仕女」と呼んだりします。1953(昭和28)年11月に、ドイツから5人のディアコニッセが送られ、聖隷保養園長谷川保によって三方原の地に日本の戦後復興の支援のため来られました。その中の一人、ハニ・ウォルフによって日本の特別養護老人ホームの歴史は始まりました。その浜松ディアコニッセ母の家に貴重な資料が残されていました。
説教題を「『わたし』と『あなと』との共生」とつけました。新型コロナウイルス(COVID-19)の緊急事態宣言が解除されても、第2波、第3波を警戒して「新しい生活様式」が提唱されました。
十字の園50周年記念誌(別冊)『夕暮れになっても光がある』の中に、ディアコニッセの母の家の訓練の中に、「他人の思いに同調し賛成することがいかに難しいものか!それに反して、他人の欠点や過ちを見つけ、それを話すことはいかに容易なことか!共同生活のなかで争いと不和ほど惨めなものはありません。みな神の召しによって立つものが、しかも事ごとに一致して行けないというならば、何か間違いでなければなりません。そういう場合には、相克して『わたし』が支配していて『あなた』というものを認めることが足らないことが原因である場合が多いのです。」とあります。
クリスチャンで、生涯をキリストのためにディアコニッセとなっていても、新しく共同生活をするとなるとそう簡単ではありません。ディアコニッセとなった一人の姉妹(独語Schwesterシュベスター、英語sisterシスター)の日記が残っていました。具体的なことは個人の秘密のことなので言えませんが、悩んだり、怒ったり、他人を非難したりする文章がありました。
「わたし」という存在は、自分が大切で、自己中心です。しかし、人はひとりでは生きていけません。そこには「あなた」という人がいます。それは夫や親子という二人称の場合や、仲間、同級生、同僚という三人称の場合もあります。二人称であろうと三人称であろうと、一緒に生活する(生きていく)となると一人ひとりが自分の思うままにいるとすぐ限界が来ます。一人ひとりが「わたし」を出さないで「あなた」に合わせようとすると、我慢ができなくなり限界が来ます。
聖書では、9節『不平を言わずにもてなし合いなさい』にはじまり、次に『あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっている』とあり、かみさまからの恵みの「賜物」がでてきます。『神がお与えになった力に応じて』と続きます。そして『栄光と力とが、世々限りなく神にありますように』と締められています。
母の家の資料に、ディアコニッセ志願者の資料もありました。『浜松ディアコニッセ母の家の案内』を全国の教会に送りました。
ディアコニッセ母の家に入ることを志願するものは次の条件と手続きとを必要とする。
・主イエス・キリストに奉仕せんとするものである、新教(プロテスタント)の教会において、洗礼を受けた婦人であること
・18才以上の未婚者(独身)であること。
・所属教会のすいせん状
・戸籍抄本などと自筆の履歴書
・「何故私はディアコニッセになりたいか」についての作文。
この作文も残っていました。いまから60年以上前の志願者の作文です。その当時の独身女性がディアコニッセとして生涯を神さまに仕えようと自ら決心して、反対する人もいたことでしょう。反対を押し切り、親を説得して志願してきたのです。作文を読むと個性豊かな人たちが集まりました。
生まれも育ちも違う人たちが、共同生活するにはルール(規則)になるものが必要です。それが「訓練」です。
コリントの信徒への手紙(一)1:10に「さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。」とあります。このことは、母の家の共同生活にとって大切な規則です。私たちは様々な家から、様々な身分から、様々な職業から来ているのです。めいめい特徴があり、また欠点があります。それが親しい共同生活に入れられて隣人を知ることを学ぶのです。
聖隷福祉事業団と聖隷学園の理念は『隣人愛』です。マタイ福音書22:37、39「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』、『隣人を自分のように愛しなさい。』
この思いをもって、「わたし」と「あなた」との共に生きる、新しい生活様式を作っていきたいものです。

使徒言行録2章1~4節

(2020.5.27)

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

『ペンテコステ(聖霊降臨日)と世界宣教』
昇天から10日目、五旬祭(ペンテコステ・聖霊降臨日)の日に、突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえてきた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れて使徒たち一人ひとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らされるままに、数多くの国々の言葉で話し出した。多様な言語を用いて神さまの偉大な救いの業が証しされていきました。そこに、み言葉を伝える教会が始まりました。
復活祭(イースター)と聖霊降臨祭(ペンテコステ)は、移動祝祭で、毎年変わります。今年はイースターが4月12日で、40日後の昇天日は5月21日、50日目のペンテコステは5月31日です。
ペンテコステは教会の誕生した日ともいわれます。聖霊を受けた弟子たちが力を与えられ「イエスがキリスト・救い主」であると祝福の喜びのメッセージを世界に伝えて行きました。その出来事は2000年経った今も同じです。クリスチャンにとって、神様からの使命は、自分の救いを隣人に伝えること(宣教・伝道)です。
新約聖書のイエス・キリスト時代は、神の子としての誕生から十字架の死と復活、昇天までが福音書に記されています。その後の時代は、使徒時代と呼ばれ、使徒言行録には、弟子たちの宣教の記録があります。イエスの弟子やその当時の使徒と言われた人ばかりでなく、今の時代の私などのクリスチャンまで、「十字架の死と復活」を自分のこととして感じた人は、人に伝えずにはいられないのではないでしょうか。
祈る人たち
イエスさまは『あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける』と約束してくださったことを信じて、11人の弟子だけでなく、そこに居合わせた女性たちも祈りを合わせていました。
弟子のペトロはキリスト者共同体で指導的立場にいて、ユダヤ地方、シリア地方を旅して伝道しました。またローマにも行きました。紀元64年ころで、ローマでネロの迫害にあって殉教しました。ペテロの話を聞いて65年にマルコによる福音書が出されました。弟子たちの拠点であったエルサレム教会から追い出され散りばめられ、「イエスの十字架と復活」の福音を福音書の中に記されました。
パウロの伝道の働きは大きく、また、新約聖書の中にも第1回から第3回の伝道旅行に合わせてそれぞれの地に教会を建て、それぞれの地に信仰の手紙を送っています。他の弟子たちも書いています。マタイによる福音書、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙(1・2・3)、ペテロの手紙(1・2)、ヤコブの手紙、パウロの伝承をもとにルカによる福音書、や使徒言行録が残され、ヤコブの子ユダの手紙などもあります。
アンデレの物語は遠い地(中央アジアの遊牧民のスキタイまでも)で展開し、ギリシャのパトラスでⅩ字十字架に貼り付けになって殉教の死を遂げたといわれています。ディディモと呼ばれるトマスは遠く南インドまで伝道し、お墓があるといわれています。熱心島のシモンはシモン・ペテロと区別され、弟子のひとりに加えられ、ローマのイスラエル支配になったときには激しく、暴力的に抵抗したといいます。
聖霊なる神、聖霊を受けるということは本人の体験しか起こらないことです。「三位一体」とは、「創造主なる神、イエス・キリストの子なる神、聖霊なる神」を言い、「三位」=「各々、それぞれに役割」があります。聖書がわかるのも、洗礼を受けるのも、聖書の話を伝えるのも、「聖霊」の働きによるものです。

ヨハネによる福音書21章15~17節

(2020.4.22)

食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

「わたしを愛しているか」と3度問われたペテロ
①予定では、4月21日介護福祉専門学校の礼拝、23日は聖隷クリストファー大学水曜礼拝でお話しする予定でしたが、コロナウイルスで学校が休みになり礼拝も中止になりました。情報では、今週からwebによる授業が始まったそうです。
②「愛」という言葉はキリスト教では分けて表現しています。
③古代ギリシャ・キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、「アガペー」です。「愛」と表現される4種類の感情は、古代ギリシャ時代から考えられていました。
④ストルゲー(storgē)は、キリスト教では家族愛(古代ギリシャでは風、火、水、土を結合させる愛)
⑤エロス(érōs)は、キリスト教では性愛。(古代ギリシャでは自己を充実させる愛)
⑥フィーリア(philía)は、キリスト教では隣人愛。友愛。(古代ギリシャでは友人の友人に対する愛)
⑦アガペー(agápē)は、キリスト教では真の愛。(古代ギリシャではあるものを他よりも優遇する愛)。
⑧ここではイエス様はペトロに「わたしを愛しているか」と3度問われています。「3度」は、イエス様がペトロに「にわとりが鳴く前にわたしを3度知らないというであろう」を思い起こします。
⑨3度の問いに、1度目は「わたしの小羊を飼いなさい」、2度目は「わたしの羊の世話をしなさい」、3度目は「わたしの羊を飼いなさい。」と、第1に神を愛し、同時に人々を神の愛のうちにいるように養いなさい、牧しなさいと言っています。
⑩ここの箇所を「イエスの第一回目、第二回目の『(あなたはわたしを)愛しているか』の場合の『愛す』という動詞は、アガパス(原形はアガパーン)というギリシャ語が用いられています。これはアガぺーという言葉の動詞です。それに対して、ペトロが『(わたしがあなたを)愛している』と答えた時の「愛す」という動詞は、フィロー(原形はフィレイン)という言葉を使っています。三度目にイエスがペトロに『(あなたはわたしを)愛しているか』と問うた時は、イエスの方もペトロの使ったことばに合わせてフィレイス(原形はフィレイン)という言葉を使っています。」とお話をしていることを聞きました。
⑪わたしたち人間にはアガペーとしての「真の愛」を持つことを求められてもできません。ペテロが3度目にイエスさまから「わたしを愛するか」と問われたときに応答したフィレイン「あなたを愛する」は、人間相互の愛情といった自然の愛情を意味し、それならできると言っています。
⑫弟子たちは復活のイエスと会ってから、イエス様が私たちの罪の贖い(身代わりになって死んでくださった)として、また、復活によって私たちに永遠の命への希望をくださったこと、神の国(天国)が完成するときに信じる者は加えられるという確信を持ちました。ペテロは神の福音を伝えていくリーダーになりました。
⑬ルカ福音書1章1、2節には「わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。」と記されています。こうしてペトロやヨハネなどの弟子たちによって、世界の人々へ神の福音が告げられていきますが、そのことが使徒言行録に記されています。

ヨハネ福音書12:12~13『エルサレム入城』

(2020.4.1)

その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」

①4月5日がキリスト教では「受難週」といいます。救い主であるイエス様が十字架上で死なれたのが金曜日(今年は4月10日)で、その週だから受難週といいます。
②その1週間には毎日イエス様にかかわる出来事がありますが来週の中でお話しします。
③イエス様のエルサレム入城については、4つの福音書全部にのっています。皇帝や王は馬に乗って格好をつけますが、救い主である「わたしたちの王」は、ロバに乗って登場します。マルコ福音書では、『まだだれも乗ったことのない子ロバ』に乗りました。
④ゼカリヤの預言が成就するためです。『娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ロバに乗って来る/雌ロバの子であるロバに乗って。(旧約聖書ゼカリヤ書9:9)』)
⑤イエスさまは、エルサレムの手前の村で、ふたりの弟子に、まだ誰も乗ったことのない子ロバを連れてくるようにおっしゃった。イエスさまは、子ロバにまたがり、エルサレムの城門をくぐった。当時の支配者、ローマ帝国の兵隊たちは、立派な軍馬に乗っていたけれど、いえさまは小さな子どものロバに乗って人々に迎えられたんだ。人々は自分の服や枝を道に敷き、声高く「ホサナ!」(「救ってください」という意味)と叫んでイエスさまを迎えたよ。
⑥王が乗る乗り物が「荷物を運ぶロバの子」であるということ。ロバ自体は乗り物として奇妙ではありません。馬がなかった時代のイスラエルでは、士師記に見る士師も預言者も王も、ロバに乗っていました。馬が輸入されるまでは、ロバが機動力であり、権力のしるしでもありました。ソロモン王の即位式では、馬ではなく『雌の騾馬に乗った(第一列王1章33節)』とあります。しかしソロモンが王として即位し、エジプトから大量に馬を輸入してからは、ロバに乗る王侯貴族はいなくなってしまい、運搬用の家畜になってしまいました。このときから、ロバは格下げになり、「荷物を運ぶロバ」という表現で、この家畜の卑しさを表わしています。
⑦ロバに乗っている旧約聖書の聖書を見てましょう。
⑧アブラハムはロバに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。(創世記22:3)
⑨モーセは、妻子をロバに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。(出エジプト4:20)
⑩バラムはロバに乗り、二人の若者を従えていた。(民数記22:22)
⑪すると、主が、ロバの口を開かれたので、ロバはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。(民数記22:28)
⑫彼に四十人のむすこ及び三十人の孫があり、七十頭のロバに乗った。(士師記12:14)
⑬イエスさまがロバに乗ってエルサレムに入城するのはこの時代では奇妙な行動に移りました。人々は自分たちの「王が来た」と大歓迎で、自分たちの服や棕櫚の葉を敷いてイエス様を迎えました。
⑭しかし、そのその後には、イエスさまを捕らえ、殺す計画が持ち上がり、人々はもちろん、弟子たちもイエスから離れていきました。
⑮それが私たちの思いを超えた神さまの計画です。

ルカ福音書18:31~33『七つの愛の業』

(2020.3.25)

イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。」

(まえおき)
たくさんの奇跡を行うイエス様のことを、人々は洗礼者ヨハネとか昔の預言者だと噂していました。フィリポ・カイサリア地方に行った時、イエス様は弟子たちに問いました。「あなたがたはわたしを何者だと思うのか?」。一番弟子のシモン・ペテロが答えました。「あなたはメシア(救い主)、生ける神の子です」(マタイ16:16)。
この時から、イエス様は、ご自分がエルサレムに行って十字架に架けられること、そして3日目に甦ることを弟子たちに話されました。エルサレムには、イエス様を嫌い、憎む人たちが大勢います。それでも神さまの御心だと信じ、イエス様は弟子たちと一緒にエルサレムに向かいました。
その途上でも、イエス様と出会った人たちがいました。その出会った人たちのことを話します。
①次週の4月5日から受難週に入ります。エルサレム途上でイエス様に出会った人たちがいました。
②子供たち:天国に一番近いのは子供たち
マタイ福音書19:13~
「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである』。そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。』
③金持ちの青年
マタイ福音書19:16~
「『先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか』。イエスは言われた。『もし命を得たいのなら、掟を守りなさい』。男が『どの掟ですか』と尋ねると、「[殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい]』。この青年は言った。『そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか』。イエスは言われた。『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい』。青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
④ザアカイ(エリコの徴税人の頭)
ルカ福音書19:2~
「そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい』。ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」
⑤マルタ
イエス様によって生き返ったラザロの妹。マリアと姉妹です。家事をよくやりしっかり者のお姉さんで、イエス様が来られた時におもてなしをしました。マリアが何もしないでイエス様の話を聞いていることに愚痴りました。また、ラザロの亡くなったことではもっと早く来てくれればとイエス様に文句を言いました。
⑥マリア
イエス様の話を聞くことが大好きで、兄ラザロが病気でイエス様が来てくれた時も、待てなしもしないで聞いていました。姉のマルタとよく比較されます。イエス様がエルサレムに向かうと前、非常に高価なナルドの香油(300デナリオン)でイエス様の足を拭ったとあります。(ヨハネ12:3)
⑦ラザロ(死んだのに生き返った)
名前の意味は「神は助なり」。一度死んだことがある。病気になりイエス様が来てくれるはずだったのに、到着する4日前に死んで墓に収められた。墓の前でイエス様は涙を流された。でも、イエス様が天を仰いで祈り、「ラザロ、出てきなさい」と呼ぶと、ラザロは生き返って墓から出てきました。(ヨハネ11:1~44)
⑧イエス様は弱い人、貧しい人、嫌われている人そばにいて、声をかけられました。エルサレムに入ったときは、そのような人々からは大歓迎で迎えてもらいました。
⑨「七つの愛の業」
「これらの小さい者の一人にした」人たちを祝福しています。マタイ福音書25:35「お前たちは、①わたしが飢えていたときに食べさせ、②のどが渇いていたときに飲ませ、③旅をしていたときに宿を貸し、④裸のときに着せ、⑤病気のときに見舞い、⑥牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』の六つと、それに「死を看取る」を加えて「七つの愛の業」だと眞壁伍郎先生は『いのちに寄り添うひとへ-看護の原点にあるもの-』のなかで記しています。

使徒言行録3:1~10『キリストに寄り頼む』

(2020.3.18)

1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。4ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、6ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」7そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、8躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。9民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。10彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

①ローズンゲンの2月5日の箇所は使徒言行録3章8節です。旧約聖書はイザヤ書38章20節『主よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で、わたしの音楽を共に奏でるでしょう。』です。その17節には『あなたはわたしの罪をすべて、あなたの後ろに投げ捨ててくださった。』と、救い主の到来に思いが寄せられます。それが私たちの真の救いです。
②使徒言行録3章1節からの内容を見ましょう。ペテロとヨハネが祈るために神殿に上っていきました。すると生まれつき足の不自由な人が神殿の門(美しの門)の前に運ばれてきました。毎日この門の前に座って施しを受けるためです。ペトロたちにも施しを乞いましたが、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言いました。すると、生まれつきの人が踊りあがって立ち上がりました。奇跡です。そして、二人と一緒に神殿に入っていきました。さらに、その男は「神を賛美した」のです。信仰が芽生えたのです。
③民衆は、その不思議な業と生まれつき足の不自由な人が立ち上がったことに「我を忘れる」ほど驚きました。
④「美しい門」のこちら側と中に入った側とは大きな違いがあります。わたしたちが生まれつき足の不自由な人でなくても、「イエスの名によって」癒してもらわなければ救いに預かるはできません。救ってもらうことを実感として感じると、私たちは躍り上がって、美しい門を通って神殿に入り、神を賛美して祈ってしまうのです。
⑤イザヤ書の『あなたはわたしの罪をすべて、あなたの後ろに投げ捨ててくださった。』そして『主よ、あなたはわたしを救ってくださった。』のです。
⑥新約聖書においては、イエスの十字架によって私の罪を後ろに投げ捨てて下さったのです。そのイエスが人間の罪の贖いとして十字架に架かって死なれた。それで、イエスのことを贖い主と言われます。
⑦ペテロが『イエス・キリスト名によって』と言ったことで、この人は立ち上がったことに注目しましょう。
⑧ペトロはイエスの弟子として使命を受け、イエス・キリストの名とは、イエスの力、聖霊によって奇跡をおこなうことができました。
⑨パウロも「イエスの名によって」と使っています。わたしたちの力は限られています。小さい者で、力も弱く、みんなで力を合わせても、できることは限られています。長谷川保もハニ・ウォルフしまいも、鈴木生二も、この十字の園を祈りの中で『主イエスの名によって』行動しました。
⑩2000年前のペテロも、パウロも、『イエスの名に』よって、聖霊の力によって奇跡が起きました。そのことは、今も、私たちも『イエスの名によって』によって奇跡を起こすことができます。
⑪もうすぐ60周年を迎えますが、60年前、50年前、40年前の十字の園の中に起きた『イエスの名によって』起こった出来事が、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」ということができるのです。
⑫現実の計算を通して考えれば何も起きないのですが、「キリスト精神に立った」とき、人間の考えにないことが起きます。「キリスト精神に立つ」とは『キリストの名に』よって、イエス・キリストに寄り頼むことだと思います。

コリント信徒への手紙Ⅱ4:6~9『復活礼拝堂』

(2020.3.11)

6「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。7ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。8わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。

①1975年のカレンダーは2月8日までは今年と同じです。1月18日の母の家の週末礼拝の聖書箇所はコリント信徒への手紙Ⅱ4章6節でした。出席者は、渥美、佐藤、談義の当時の十字の園職員と、母の家の月子姉妹、光子姉妹、一二三姉妹です。今から45年前です。3人の職員は職員宿舎のシオン寮にいました。
②母の家の週末礼拝は、復活礼拝堂で行われていました。母の家の日誌から、母の家の復活礼拝堂の起源を読みとってみました。
③1966年2月11日(金曜日)に礼拝堂の図面が来ました。羽仁姉妹、感謝の祈りをささげる。その図面です。
④2月12日(土曜日)「富士建築の森社長さんと図面のことで、ハニ、光子、一二三の3姉妹。見積もり額は1,000,000円とのこと。羽仁姉妹の帰国までに建前をしたいと社長より話しがあった。」その見積書です。
⑤2月22日、礼拝堂にブルドーザーの工事始まりました。2月23日は、礼拝堂の整地及び地固めが始まりました。
⑥2月28日には、礼拝堂の建築費の一部として500,000円を富士建築に支払う。
⑦3月3日に、ドイツの教区から十字の園に900,000円の献金と礼拝堂のための献金がとどきました。
⑧3月17日、礼拝堂のブロックが積み始められた。
⑨3月26日はハニ姉妹がドイツに帰国前の土曜日で、「今朝は礼拝堂で朝拝を守った。」とあります。3月27日(日曜日)「7時より礼拝堂のブロックの中で礼拝。」3月28日は「8時15分、母の家の前にて、光子姉妹司会、詩篇100編、讃美歌2番、聖隷保養園の方々や学園の生徒さん、老人ホーム職員の見送りを受け8時半出発し、9時35分、5分遅れて浜松駅を出発。
⑩5月18日(水曜日)「母の家の礼拝堂がいよいよ完成に近づいてきた。外側が白く塗られ、入り口の扉に飾りにステンレスの鋲が打ちこんであり、すっきりした感じがする。できるだけ純日本式にと願われた羽仁姉妹の志を生かしてと森さんは苦心しておられる。
⑪5月21日(土曜日)「週末礼拝。母の家の礼拝堂の写真ができたので、早速羽仁姉妹に送るために用意した。
⑫5月25日「晴れから雨模様。礼拝堂もいよいよ完成に近い。高田さんにお聞きしながら6月の第一日曜日ぐらいまでにできるようにしましょうと言われた。」 5月30日「久しぶりに晴れ渡った気持ち良い日だった。急に夏が来たように蝉が泣き出す。礼拝堂の壁もすっかり出来上がった。あと、テーブルに電球が入れば完成する。外側の塀ももう少し出してもらうようにした。長谷川先生がエルサレムから持ち帰られた十字架をお願いして会堂の玄関上にかかげたい。」
⑬6月6日(月曜日)「西村先生と礼拝堂献堂式について話し合う。午後、長谷川先生礼拝堂の方へお見えになる。」/6月7日(火曜日)「礼拝堂献堂式においてハイデルベルク信仰問答、第一聖日問1を唱えることにし、それまで毎朝、礼拝の時に言ってみることにする。」/6月18日(土曜日)「あと10日で献堂式を控えて、庭の草取りをぼつぼつ始めるが、広い所のため、気ばかり焦って思うようにできない。」
⑭6月21日(火曜日)「11時半、一二三姉妹、光子姉妹は外山先生の車に浜松で買い物に行くため乗せていっていただいて、プログラム作りの紙を買いにいかれる。夕拝後、10時過ぎまでカード作り。ドイツからいただいた麦わらで作る。/6月21日(水曜日・夏至)「一二三姉妹、朝から会堂のワックスを塗り。ブラシかけを行う。午後は、男の人たちが草刈りに来てくださり、3分の1ぐらい刈る。明日もまた来て下さるとの事。今日、夕方までに油ふきは4回したことになる。」/6月26日(日曜日)4時30分長谷川氏明日のために聖アンジェリコの受胎告知の画をお祝いに持ってきてくださる。
⑮6月27日(月曜日)母の家復活礼拝堂献堂式