人格を尊重し、生きる喜び、生きる自由、生きる希望を創ります。

精神的基盤

十字の園内施設礼拝メッセージ(毎週更新)

使徒言行録28章23~31節『パウロ~愛と赦しの物語』

23そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。24ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。25彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、26語られました。/『この民のところへ行って言え。/あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。/27この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。/こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。/わたしは彼らをいやさない。』/28だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」29(†底本に節が欠落 異本訳)パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。30パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、31全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。 

『パウロ~愛と赦しの物語』
①使徒言行録の最終章28章30,31節では、『パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。』と宣教をしつくして穏やかな生涯を送っているかのように閉じられています。
しかし、先々週の私の説教では、「パウロはローマにおいて紀元後67年に、拷問のあと邪悪な皇帝ネロによって首をはねられました。」と話しました。
②『ルカによる福音書』と『使徒言行録』は「ルカ文書」といわれて、著者は同じ医者であるルカです。
③使徒言行録は8章まではイエスの弟子ペテロたちの宣教が記されていて、7章のステファノの殉教、8章のフィリポの宣教に受け継がれ、8章からはサウロ、回心によりパウロのことが28章まで書き綴られています。
④『パウロ~愛と赦しの物語~』という映画には、ローマに到着してからのパウロが描かれています。先日『パウロ~愛と赦しの物語~』のDVDを購入しました。近日中にその上映会をしたいと思っています。そのことから、今回は使徒言行録の最終章を取り上げました。
⑤2018年アメリカでこの映画は制作され、11月から各地で上映されましたが、この浜松では見る機会がありませんでした。DVDが出されたと聞いて早速購入しました。
⑥キリスト教を迫害する立場から回心した使徒パウロの物語を、パウロの言葉を書き記し続けた医者ルカの目を通して描いた歴史物語です。「アトミック・ブロンド」などに出演するイギリスの俳優ジェームズ・フォークナーがパウロ役、「パッション」でイエス・キリストに扮したジム・カビーゼルがルカ役を務めました。
⑦紀元67年、ローマの街が大火事に見舞われます。皇帝ネロはキリスト教徒による放火であるとし、タルソのサウロ(パウロ)を首謀者として逮捕します。パウロは投獄されますが、そんな彼を医者のルカが牢屋に訪ね、パウロの言葉を民衆に伝えるため筆記していきます。ネロのキリスト教徒に対する迫害は激しさを増していき、そんななかでもパウロは、かくまわれているキリスト教徒たちに愛を持って戦うことを伝えます、血気にはやった一部の者たちが剣を取ってローマ軍に立ち向かおうとします。そしてパウロも、回心する前の自分が迫害していたキリスト教徒たちの夢を見て苦悩します。
牢屋では皇帝直属部隊の百人隊長のユリウスの監視下に置かれますが、このユリウスの娘が病に侵され、医者や祈祷師などあらゆる手を使っても癒されませんでした。ルカは医者です。ルカは、牢屋のパウロをたびたび訪問しパウロの話を聞き取り書いていました。パウロが大火事の首謀者だとするために、書き綴った書類を読みましたが、その中にはサウロと呼ばれていたころキリスト今日を迫害していたことや、なぜわたしを迫害するのかとのイエスの声が聞こえ、目が見えなくなり、アナニアに出会って見えるようになり回心したことやイエスの十字架、復活のことが書かれていました。その後、百人隊長ユリウスはルカを捕まえ処刑しようとした時、パウロから彼は医者だと聞かされ、娘をルカに見せました。そして、ルカによって娘は助かりました。これによってパウロは牢屋から出て軟禁状態ながらも多くの人に話し続け、キリスト者はローマを離れて他の地で生活し、パウロは大火事の首謀者として処刑されますが、その手前で映画は終わります。

使徒言行録21章8~16節『パウロ、エルサレムへ行く』

聖書 使徒言行録21章8~10,15~16節

8翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。9この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。10幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。

15数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。16カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。

お話 『パウロ、エルサレムへ行く』
 ロドス島で皆に別れを告げてコス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発し、キプロスを通り過ぎティルスの港に着いてそこに7日間滞在しました。
 そこからカイサリアに行き、フィリポの家に泊まりました。「福音宣教者」と紹介されているフィリポは以前、ステファノと一緒に選ばれた7人の一人です。4人の娘がいるとあります。そこに滞在していると、ユダヤからカイサリアにきたアガボという預言者が来て、パウロが縛られて捕まってしまうと予言した。周りにいた人たちがエルサレムに行くのをやめさせようとしたが、13節「そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。』」
 神からの召命として伝道しているパウロですから、神にすべて委ねています。『神のため』なら、例えば、十字の園で何か事業を起こそうするときに、それが神の命令ならば資金のことも、場所のことも、時期のことでも揺れてはいけないのです。すべてを神がご存じで、お金までも天から降ってくるのです。
 キプロス島の出身のムナソンという弟子のところに泊まりました。27節以下の中でアガボの予言どおり、ギリシャ人(異邦人)を神殿に入れたことを理由にパウロは捕まって境内から引きずり出されてしまいます。ここで覚えておきたいのは、ユダヤ人のキリスト者がいる「ユダヤ人教会」と異邦人のキリスト者がいる「異邦人教会」との対立が起きました。使徒言行録15章の使徒会議での論争がこの時までも尾を引いているのです。異邦人が救われるためには「割礼」が必要か否かという論争でした。結論は、人間の罪の赦しはイエスの十字架の死によって贖われ、ユダヤ人でも異邦人でも割礼は必要ないということです。
 パウロが捕らえられたことで、ローマ帝国の兵隊との話に結び付きます。それは、「イエスをキリストと告白することだけで救われる」という本質が、改めて表面化してくるのです。この騒ぎによってパウロが危険な状況になり、群衆からの暴行を避けるために兵士はパウロを担ぎ上げてその場から離れさせ連れて行きました。
 37節からパウロの弁明が始まります。兵営の中に連れていかれそうになった時、「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」と言って、千人隊長に「ひと言お話してもいいですか」と言ったところ、許可が出て、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制し、静かになったところで話し始めました。
 22章では、サウロと呼ばれていた時はキリスト教を迫害していました。『なぜ私を迫害するのか』とイエスの声を聞こえ、8節から「『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』」と言われました。
パウロはその後、回心しイエスを伝えることが使命となりました。
 パウロは12弟子たちと違って、直接イエスと一緒には歩いていません。また、イエスが十字架に架けられたこと、復活したこと、皆に現れたことには出会っていません。イエスの声を聞き救いを体験したことで、生きている主を信じることができました。
 現代の私たちも聖書を通して、み言葉を通してイエスを主とみることができます。

使徒言行録20章1~7節『マケドニア州とギリシアに行く』

聖書 使徒言行録20章1~7節

1この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。2そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、3そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。4同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。5この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、6わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。7週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。8わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。

お話 『マケドニア州からギリシアに行く』
 10月の話は、パウロの第3次伝道旅行のエフェソでの話でした。伝道旅行は続きます。
マケドニア→ギリシア→ギリシア→マケドニア→フィリピ→トロアス→アソス→ミティレネ→サモス島→ミレトス→エルサレム
 この騒動とはアルテミスの神殿で起きたことだった。マケドニア州を出発して地方を巡り歩きギリシアに来た。パウロに同行したのは、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。
 フィリピを出発してトロアスに来て7日間滞在して神さまの話を皆にした。8節では、その家の会場にもたくさんの人がいて、パウロの話を聞いていた。
 その時のことです。9節「エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。」という出来事が起こりました。エウティコは死んでしまったのです。パウロはその青年のところに降りていきます。
 そこに居合わせた人にとってはパウロによる奇跡を見ることになります。10節「騒ぐな。まだ生きている。」というのです。3階から落ちて死んだはずのエウティコが生き返ったのです。パウロは何事もなかったように話続け、パンを食べ夜明けまで話し続けました。12節「人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。」というのです。
 パウロはさらに伝道するためにいろいろなところに出向きました。パウロの目的は、救い主であり、神の子である主イエスを伝えるため、迫害や陰謀や試練にあっても行動をしました。
 21節「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証し」したのです。
 聖書に記録されている唯一の使徒の死はヤコブだ(使徒行伝12:2)。他の使徒たちは伝承によって知らされている。ペテロがローマで十字架に逆さにはり付け、マタイはエチオピアで刀傷によって殉教し、バルトロマイはアルメニアでむちで打たれ皮膚がはがれて亡くなった。アンデレはX型の十字架につけられギリシアで亡くなった。トマスはインドで槍に刺され、マッテヤは石打ちにされ首を切られた。パウロはローマにおいて紀元後67年に、拷問のあと邪悪な皇帝ネロによって首をはねられました。
 ヨハネだけは、監獄の島パトモス島の炭鉱に島流しになり預言的な書、黙示録をパトモスで書き、のちに釈放され、トルコに戻り老齢で亡くなりました。
 20章の37節から「人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。」
 パウロに限らず、キリストを受け入れられない時代に伝道するとは命がけです。迫害があり試練があり殺されることもありますが、イエスこそ救い主、贖い主、神の子であるとの確信があったからこそできたことだと思います。信仰の確信です。自らの救いの体験がある人は強みです。
 フランシスコ・ザビエルはポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。中国伝道が目的で、中国本土にわたる手前の中国江門市台山市上川島(じょうせんとう、サンシャイン、セント・ジョーンズ)で46歳の若さで亡くなった。

エフェソの信徒への手紙2章4節~10節『神の作品』

聖書 エフェソの信徒への手紙2章4節~10節

4しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 5罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― 6キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。8事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。9行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。10なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。

お話 わたしたちは神に造られたもの
 1984年10月24日、十字の園に就職して初めて礼拝でお話をしました。そのことがノートに、「先週の水曜日に礼拝担当を言われました。『平井さんが話すと落語になる』などと思う人もあり、うちの奥さんに、このことを話したら、『植木等がまじめな顔でお経を読むみたい』と笑いました。私自身、この場に立って話すことに非常な戸惑いを覚えたことは事実です。」と記されていました。詩編119編105節の『あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。』のみ言葉で話しましたが、どんな内容で、どんな話をしたかは記されていませんでした。
 このノートには、1984年10月24日から1985年2月15日までの説教があります。1984年11月14日の伊豆高原十字の園の礼拝説教です。35年前の説教です。私たちは『神の作品』であるというこの聖書箇所が私の好きなみ言葉であり、生きる土台のみ言葉です。はじめに35年前の私の話したことをノートからそのまま読ませていただきます。
(ノートから)
 ここでは、「どのように救われる」「救いの目的は何か」を学びたいと思います。8節9節には、神に救われるのは、私たちの行いによるのではなく、神様の恵み、信仰であり、自分自身から出たものではなく、神様の賜物である、と記されています。私たちの行いによるのでないのは、誇らないためである、というのです。
 洗礼を受けるに至る過程には、人それぞれの中に、キリスト教との出会い、キリスト教との触れ合い、聖霊の導きがあります。しかし、そこには「私は、これこれ、しかじかだから洗礼を受ける権利がある」というものではありません。誇るものは何もありません。洗礼を受ける「時」を聖霊により与えられるのです。『神のなされることは、みな、その時にかなって美しい』(伝道の書3:11)のみ言葉の通り計画されているのです。
 10節は「救いの目的が何であるかを明らかに示してくれるみ言葉である」と言われています。口語訳聖書では『わたしたちは神の作品であって(新共同訳:わたしたちは神に造られたものであり)』と、私たちがこの世に「生」を受けたのは、社会のではなく、自分のではなく、『神の』が強調されて、『わたしたちは神の作品である』というのです。神様に救われるのは、ともすると、幸福になるためだと思っている人が多いようですが、『救いの目的にいることによって幸福を味わうことになりなすが、目的は違います。
 私は、奥さんと出会ってキリスト教に出会いました。教会に通うことによって、キリスト教と触れ合うことになりました。しかし、洗礼を受けたのは、その時から4年たってからです。十字の園に勤めるようになり、そして長女が生まれ、仕事として、家庭として、「あらかじめ備えてくださった」その目的を知ることになります。それは、一つは十字の園での働きを備えられたこと、もう一つは家庭です。
 家庭にあっては、次女若枝を中心にした家庭です。生まれて2~3か月で若枝の普通のあかちゃんと発達段階との違いに気づきました。親としてショックでした。「なぜ、我が家にこの子が生まれたのか」、はじめは悩みました。いろいろな病院にもかかり、1年後くらいからは「ひきつけ」(てんかんに似た症状のものです)も起きました。親にとって不安・悩みがつのってきました。このひきつけは長いときは30分、40分続きます。顔の表情は恐ろしいほどです。この若枝を育てていく中、また、若枝が育っていく中に多くの悩みを抱きました。
 でも、今は、我が家に若枝が与えられたことな感謝しています。『あらかじめ備えて下さった』ということはやっとわかってきました。職員の一人ひとりにとってはこの十字の園での働く場が与えられたのは、「あらかじめ備えて下さった」ことだと思うのです。また在園者にとってもこの十字の園が「あらかじめ備えて下さった」ことなのだと思うのです。『私たちは神様の作品』です。そして、今日のみ言葉が示すように『あらかじめ備えて下さった』このことを思って歩んでいきたいと思います。
 御殿場に6年、伊豆高原に4年、浜松に来て34年の44年1か月十字の園で働かせていただきました。1999年9月に理事長に就任し、理事長として19年7か月として任を全うさせていただきました。「恵み」は、旧約聖書では「よい行いに対する報酬で、新約聖書では「恵みの資格のない者にも神は与えられる」と言います。私の十字の園の一日一日に神さまの恵みによって生かされました。朝毎に礼拝でみ言葉をいただき、神が一緒に歩いてくださることを確認することができました。私にとって大切な大切な時がこの礼拝でした。今は家庭でローズンゲンの日課に合わせ日々の聖句と連続の聖書個所を読み祈って一日が始まります。

使徒言行録19章1~7節『パウロの第3次伝道旅行』

聖書 使徒言行録19章1~7節

1アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、2彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。3パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。4そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」5人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。6パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。7この人たちは、皆で十二人ほどであった。

『パウロの第3次伝道旅行』
1.第2回宣教旅行を終えアンティオキアに帰り着いたパウロは、すぐまた旅立ち、ガラテヤ州やフリキア州の教会を訪問したあとエフェソに向かいました。エフェソを拠点に、ガラテヤ、フィリピ、コリントの教会と連絡を取り合い、手紙を送ったり、人を遣わしたりした。
2.今日の聖書には、エフェソの教会の人たちに、パウロは「信仰に入ったとき聖霊を受けましたか」と聞くと、彼らは「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました。
3.使徒言行録2章に聖霊降臨のことが出てきます。イエス・キリストの昇天(イエスが天に昇っていき見えなくなった)の後に、神の力の「聖霊」が人に与えられました。三位一体(父なる神・子なる神・聖霊なる神)の「聖霊」です。この聖霊によって私たちは神を知ることができ、神を信じることができるのです。
4.教会で牧師が洗礼を授ける時に「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」といいます。
5.エフェソの教会の人たちは「ヨハネの洗礼」を受けていました。「『ヨハネよる洗礼(バプテスマ)』は、『悔い改めのバプテスマ』で、イエスを主と信じるための準備にすぎない。ヨハネの教団においては、イエスを来たるべき救い主とする確信がなかった。」と、注解書にありました。
6.マルコ福音書1章4節「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。」と記されています。
7.『新約聖書一日一章』には、「罪は人間にはどうすることもできないものである。自分の力で罪を処分し清めることはできない。罪を許されるためには誰かがその代償を支払わなければならない。そこにイエスの十字架の代価なしにはわたしたちは救いがない理由がある。そこにキリスト信仰の独自性、絶対性がある」と記されていた。
8.理解するのは難しいことですが真理です。イエスが十字架に架かって死なれたのは私たちの罪のため」ということは礼拝でよく語られますがこのことです。
9.「人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り」と5節から6節にあります。
10.このようなことが2年も続いたので、アジア州にすむユダヤ人やギリシャ人のだれもが主の言葉を聞くようになりました。
11.パウロの手を通して目覚ましい奇跡が行われました。これに反発するのはユダヤ人の祈祷師たちです。祈祷してお金を得て生計を立てていたのです。
12.「パウロが宣べ伝えているイエスの名によって、お前たちに命じる」という人が出てきました。祭司長スケワの7人の息子たちです。しかし、悪霊たちは息子たちに言い返しました。「いったいお前たちは何者だ」と言って、飛び掛かって押さえつけ、ひどい目に合わせました。彼らは家を出ていきました。ここでは、悪霊がいいことをしました。
13.エフェソ人たちは、スケワの息子たちがひどい目にあったのを見て、イエスを信じ、銀貨5万枚分にもなる魔術の本を全部もやしました。
14.このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していきました。。
銀貨(=ドラクメ銀貨 4.3g=デナリオン)
銀貨5万枚=50,000デナリオン≒5億円

使徒言行録18章7~11節『コリントの伝道』

聖書 使徒言行録18章7~11節

7パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。8会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。9ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。10わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。11パウロは1年6か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

『コリントの伝道』
1.17章32節「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。」34節「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」
2.聖書人名事典によると、ディオニシオはアレオパゴスの議員で、アテネでパウロの伝道でキリスト者になります。「彼はモンマルトルで殉教したが、切り落とされた自分の首を抱えて歩き、現在修道院の建っている場所で倒れたという。その修道院にはフランスの王たちが多く葬られている。フランスの守護聖人になっている。
3.コリントに行って一番初めに出会ったのが前回も登場したアキラと妻のプリスキラです。この夫婦は、嬶天下(かかあでんか)だったようです。妻のプリスキラはアキラより目立っていたらしく、聖書に出てくるときは「プリスキラとアキラ」となっています。「パウロの良き協力者で、この後もローマやエフェソの伝道にも登場します。
4.今日読んだ聖書には、ユダヤ教会の隣の住む人でティティオ・ユストがいました。パウロはこの家にしばらく滞在してユダヤ教の会堂で話をします。神をあがめる人です。コリントのユダヤ人のほとんどがパウロに敵対的だあったが、パウロは会堂長のユリスポをキリスト教に改宗させました。そして一家そろって洗礼を受けました。
5.次に9節「ある夜のこと、主は幻の中で」という言葉があります。旧約聖書にも新約聖書にも出てきますが、聖書の幻とは「感覚や意識や理性が力を失った幻や夢の世界において、神の神秘が語られていたので、夢や幻のもつ社会的、宗教的意味は大きかった」と説明がありました。夢によって啓示されるという意味合いかもしれません。神から、また神の使いからの示されたことで、パウロは主の幻を信じて、コリントに1年6か月間留まって伝道しました。
6.次の12節からの所でガリオンが登場します。ガリオンはアカイア州の地方総督でした。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆(そそのか)しております」とガリオンに訴え出ました。しかし、ガリオンは、「犯罪ではないから自分たちで解決しなさい」と、その訴えを受け入れませんでした。幻で示されたとおり、パウロの伝道は守られました」。訴えてきた者たちを追い出したのです。
7.すると、「群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。」とあります。ソステネはクリスポとは別の会堂長で、この騒動に巻き込まれます。とばっちりを受けたのです。ソステネはパウロを信頼していた会堂長の一人でしたが、コリント(一)1章1節にあるパウロと同行したソステネとは別人だということです。特に、どのような働きをしたかは聖書の中には書かれていません。
8.いろいろな出来事やユダヤ人からの嫌がらせがありましたが、幻の中の主の言ったことを信頼して伝道しました。
9.これからもいろいろな使徒の名前が出てきますが、通読していくことによって面白みが出てきます。

使徒言行録16章9~12節『聖書に出てくる人物』

聖書 使徒言行録16章9~12節

9その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。10パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。11わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、12そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。

『聖書に出てくる人物』
1.パウロは幻を見たと今日の聖書の箇所は始まります。シラスを連れて第2次伝道旅行に行きました。
2.私の名前と同じ「アキラ」という人が登場します。一気に18章を先に読みます。使徒18:2「ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った」。パウロはこの二人を訪ね、ここに滞在しましたが、船でシリア州へいきました。プリスキラとアキラも同行したとあります。26節「このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。」とあります。
3.元の16章に戻ります。シラスに加えてテモテを連れて行こうとします。テモテの父親がギリシア人だったので、ユダヤ人の手前彼に割礼を授けました。シラスとテモテはベレアに残り、パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行きました。
4.シラスとテモテがサポートすることによって、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証ししました。
5.次の16:4にはリディアが登場します。「アティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。」とあります。牢を出たパウロとテモテは、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてからフィリピに出発しました。
5.次に登場するのは女奴隷と牢の看守です。16:16に「わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。」とあります。パウロとシラスにつきまとって、17節「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と何度も何度も叫んで困らせます。そこで、パウロは、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行きました。彼女もイエスを信じ救いの中に入れられました。
6.看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとしました。そこで、パウロは大声で叫んで、28節「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」。看守は、部下に明かりを持って来させ牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏して言いました。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」と看守が問うと、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」と言って、この看守にも伝道し、家族と一緒に、皆すぐに洗礼を受けました。
7.使徒言行録17章に入ります。 パウロたちが行くとこ行くとこで多くの人が信じます。ユダヤ人たちは、それをねたんでパウロの伝道を邪魔します。パウロたちはヤソンの家にかくまわれていました。このヤソンはテサロニケ教会の信者でした。パウロたちをかくまっていると思われヤソンの家は襲われ、ヤソンと兄弟たち数人がつかまり当局者のところに引きずって連れて行かれました。ヤソンと兄弟たちは保証金を払って釈放されました。
8.こうして、ヤソンたちは、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。そして、イエスの復活のことを伝道しますが、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言っています。
9.この時代にキリストを伝えることは大変でした。反対者が多くいた時代です。しかし、キリストを伝えることの困難は、迫害されることではありません。むしろ、「無関心」です。マザー・テレサは「愛の反対は無関心」だと言っています。

使徒言行録15章36~41節『パウロの第2次宣教旅行』

聖書 使徒言行録15章36~41節

36数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」37バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。38しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。39そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、40一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。41そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。

『パウロの第2次宣教旅行』
1.パウロは最初の宣教旅行で訪れた各地の信者たちのようすを見に行こうとバルナバにもちかけた。けれども、マルコとよばれるヨハネを連れて行くかどうかで、パウロとバルナバは意見が合わなくて、バルナバはヨハネを連れてキプロス島へ、パウロはシラスを連れて出発しました。
2.バルナバはヨハネを連れて自分の故郷でもあるキプロス島に向かいました。
3.一方、パウロは、アンティオキアでバルナバと分かれ、前回に行ったタルソス、テルべ、リストラ、イコニオンを訪問し、さらに遠くアジア州、マケドニア州、アカイア州、ギリシャなどに伝道し、コリント、エフェソの行き、そこから船でカイサリアを通ってエルサレム教会に報告してアンティオキア教会に戻ってきました。使徒言行録では、18章22節までに第2次伝道旅行のことがしるされています。
4.この時代で言えば新興宗教であるキリスト教を信じ、一緒に宣教活動をしていながらパウロとバルナバは意見が合わず別行動をしました。前回のエルサレム使徒会議でもパウロとバルナバの意見が合いませんでした。前回は、割礼に対する意見対立です。今回は、パウロとバルナバの宣教旅行に一緒に連れて行こうと指名したマルコと呼ばれるヨハネを、この前は一緒に行こうといったのに行かなかったから、彼は連れた行かないと言ったパウロと、今回は連れて行きたいと言ったバルナバとの意見の相違です。その結果、パウロとバルナバが別行動をしたのはなんでだろうと疑問が残ります。
5.聖書は、勝手な人間的な思いで解釈し、意見を出してはいけないと言います。文学などは、行間を読んでその本の真髄に迫ると言いますが、聖書は、書かれていないことを勝手に想像してはいけないと聞いたことがあります。
6.ウィキペディア(Wikipedia)では、福音記者マルコは新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる人物。伝承は『使徒言行録』からパウロの書簡にたびたびあらわれるマルコなる人物を同一人物と考え、福音記者とみなしてきた。『マルコによる福音書』は、福音書の中で一番初めに書かれたと言われるもので、その著者のマルコは、人物的には信頼できると思うが、バルナバは贔屓(ひいき)にし、パウロは、マルコ(ヨハネ)は、最初の宣教旅行にバルナバと同行したが、パンフィリア州から勝手に一人でエルサレムへ帰ってしまった。だから今回は連れた行かないと言い張った。
7.マルコの処遇についてのパウロとバルナバの意見はこうです。バルナバの意見は、マルコは伝道旅行の途中で脱落し、迷惑をかけた。でも今は悔い改めているのでもう一回チャンスを与えようと言いました。しかしパウロは、献身の不徹底な人は連れて行けないと拒否しました。伝道は真剣勝負だ。お互いの意見は対立したままです。二人は、いわば喧嘩別れになりました。
8.パウロに同行したのはシラスです。シラスの人物像は、アンティオキアに派遣された指導的な立場にいた人(使徒15:22)で、預言する者(使徒15:32)、ローマ帝国の市民権のある人(使徒16:19、37-38)です。 エルサレム使徒会議の決定を、ユダ(バルサバ)と共に知らせる使者(使徒15:22)となった人です。
9.同じ信仰にありながらも、意見の違いで仲たがいした今日の箇所は興味深いものです。
10.そういう中でもパウロの使命はキリストを伝えることです。2回目の宣教旅行に出発しました。

使徒言行録14章8~11節『リストラで』

聖書 使徒言行録14章8~11節
◆リストラで

8リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。9この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、10「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。11群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。

1.バルナバとパウロの第1次伝道旅行のキプロス島の伝道を終え、船でベルガに着き、ビシディア州のアンティオキアに行き会堂の席に着いると、律法と預言者の所が朗読され、パウロに何かお話をしてくださいと声がかかりました。

2.そこでパウロは、イスラエルの民が神に導かれて救われたことからアブラハム、ダビデなどの旧約聖書に書かれていることを話しました。
3.そして神の子としてイエスが誕生のことから十字架の死、復活のことまで語ったのです。パウロとバルナバが会堂を出る時に、次の安息日にも話してほしいと頼まれた。
4.それで安息日に会堂で話しをしました。しかし、ユダヤ人は群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対したのですが、異邦人たちは話を聞いて喜び信仰に入りました。ユダヤ人は貴婦人や主(おも)だった人を先導して二人を追い出しました。そして二人はイコニオンに行った。
5.イコニオンでも同じように会堂で教えていましたが、二人に乱暴を働き石を投げつけようとしました。二人はそれに気づきリストラやテルべに難を逃れて移動しました。
6.リストラでは、まだ一歩も歩いたことのない足の不自由な人に対して「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言うと、踊り上がって歩き出しました。不思議な業です。それを見て群衆は声を張り上げて「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言って、バルナバを「ゼウス」と呼び、パウロを「ヘルメス」と呼びました。
7.さらに群衆は、ゼウスの神殿の所に雄牛数頭をいけにえとしてささげようとしました。これこそ偶像礼拝です。二人は群衆に「偶像を離れていける神に立ち返りなさい」といさめて、やめさせました。
8.ユダヤ人はここでも人々を先導し、二人に石を投げつけました。死んでしまったと思い、町の外に引きずり出しました。弟子たちが心配して取り囲んだが、パウロは起き上がって町に入っていき、再び伝道しました。初代の頃に、ユダヤ人や異邦人にキリストを伝えることは大きな困難がありました。
9.いろいろな困難がありながらも、ベルゲからアタリアに下り、出発地のアンティオキア教会に戻ってきて伝道の状況を報告しました。
10.今日は15章まで話が進みます。ユダヤ人でない人(異邦人)がキリスト者になるためには旧約聖書に定められた割礼を受けるべきかどうかが問題になりました。そこで、エルサレム教会で、パウロとバルナバとほかの数名と会議をしたのが、「エルサレムの使徒会議」と言われるものです。その結果、割礼を受けなくてもキリスト者になれると結論がでました。当時としては大きな問題です。
11.ユダヤ教では、割礼はブリットと呼ばれ、ヘブライ語で「契約」を意味でした。キリスト教では割礼はいらないのです。パウロはガラテヤへの信徒への手紙5:6に「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」と言っています。
12.このことは、世界にキリスト教が広まっていくことになるのです。

使徒言行録13章1~3節『第1次伝道旅行』

聖書 使徒言行録13章1~3節

1アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。2彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」3そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。

1. いよいよパウロの第1次伝道旅行が始まります。
2. シリア州の都市アンティオキアは、さまざまな民族が人々が集まる大きな町でした。ここにキリストを信じる人々が増えていることがエルサレムに伝わりました。そこでエルサレムの教会はバルナバをアンティオキアに遣わして信仰の指導にあたらせます。バルナバは、サウロも連れてきてアンティオキア教会のために一緒に働くようにしました。
3. パウロが選ばれる事が11章に記されています。ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行きました。主がこの人々を助けたので、信じて主に立ち帰った人は多くいました。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣したのです。バルナバはサウロを見つけ出してアンティオキアに連れ帰りました。
4. バルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを助手として連れていき、①アンティオキアを出発して②キプロス島(バルナバの故郷)に行き、サラミス、パフォスに行く。そこで魔術師で、バルイエス(エリマ)という偽預言者と出会います。彼は、地方総督パウルスと交際していました。総督はバルナバとサウロを招いて神の言葉を聞こうとしたのです。
5. そこに魔術師エリマが総督に神の言葉を聞かせないようにしようと邪魔に入ります。パウロ(サウロ)は聖霊に満たされ魔術師をにらみつけ、「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
6. 総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入ったのです。
7. パウロはギリシャ名でサウロはヘブライ名で、ここから以降はパウロの名で出てくる。
8. パウロの第1次伝道旅行が始まります。
9. ④ベルケ⑤ピシティアのアンティオキア⑥イコニオン⑦リストラ⑧デルベ⑨アタリアを巡って拠点のアンティオキアに戻ってきた。
10. アンティオキア教会には、「ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいて、彼らが主の礼拝して祈っている時に聖霊がバルナバとサウロの伝道の旅に送り出した。バルナバも含め、この人たちだリーダーとして教会を導いていました。
11. 各地での宣教活動については次回につづく。

使徒言行録12章1~5節『ヤコブとペテロとヘロデ王』

聖書 使徒言行録12章1~5節

1そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、2ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。4ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。5こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

1. 今日の登場人物は、12弟子の中のヨハネの兄弟ヤコブ、ペテロ、ヘロデ王です。12章は、1~5節「ヤコブの殺害とペテロの投獄」、6~19節「ペトロ牢から救い出される」、20~24節「ヘロデ王の急死」の見出しがあります。
2. ヘロデ王はキリストの教会を迫害し、ヨハネの兄弟の大ヤコブは剣で殺されました。12弟子の中での最初の殉教者です。
3. ペトロのイラストに描かれる特徴は、にわとりと鍵です。イエス様が捕まった時「あなたもあの人の仲間でしょう」と言われたとき「違う」と三度否定し、その時に前もって言われていた通りにわとりが鳴いたのです。あとは、マタイによる福音書16:19「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。」とあるからです。そのペテロをヘロデ王は捕まえて牢に入れてしまいました。教会の人はペトロのために心を合わせて祈り続けました。
4. ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていました。番兵たちは戸口で牢を見張っていると、天使がペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言ったのです。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた、さらに天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにしました。「上着を着て、ついて来なさい」と言いついて行きました。不思議な出来事にペトロは幻を見ているのだと思いました。
5. 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開きました。すると、急に天使は離れ去りました。
6. ペトロは、人々が集まっている戸口に立って声を掛けました。門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言いました。
7. 牢屋からペテロがいなくなったことで、ヘロデ王は牢屋の兵士を問い詰めましたが、兵士も何事があったか答えられません。ヘロデ王は怒って牢屋の兵士を死刑にしてしまいました。
8. さて20節からはヘロデ王の結末が記されています。『ヘロデ王は、ヘロデ・アグリッパ1世で、人気取りのために教会を迫害しました。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。』とあります。
9. 12章の終わりに、『神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。』
10.ペトロたち弟子の伝道はいよいよ力強く人々に語られ、キリスト教は広まりました。
11.イスラエルやパレスチナの地方の建物は石造りのために2000年たった今も残っています。

使徒言行録10章9~16節『ヤッファで夢を見る』

聖書 使徒言行録10章9~16節

翌日、この三人が旅をしてヤッファの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。」すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サ

1.最初に登場する人物は、9章の最後に出てきます。「ペテロの異邦人の伝道」です。
2.アイネアは中風で8年寝たきりだった人です。キリスト・イエスによってペテロが「起きなさい」と言うと起きれたのです。癒されて信じたのはアイネアだけでなく、リダとシャロンの住む人も大勢の人が信仰を持ちました。。
3.ヤッファに、善い行いと施しをしていたタビタ(ドルカス:かもしか)という婦人がいました。タビタは病気で死んでしまいました。ペテロは、タビタが生前、他の人々のために作った下着や上着を見て、遺体にむかって「タビタ起きなさい」と言って、生き返りました。このことから裁縫の会を「ドルカス」と呼ぶようです。これによりヤッファの多くの人が主を信じました。
4.もう一人シモンが登場しますが、ヤッファの革職人でペテロを自分の家に泊めていました。そのヤッファでの出来事のお話です。「夢や幻」を見た人が登場します。
5.イタリア隊の百人隊長で、カイサリア駐在中に祈っていると「コルネリウス」と呼びかけるのを幻ではっきりみました。天使はシモンの家に泊まっている「ペテロを招きなさい」といわれた。。
6.そのペテロはお腹が空いて何か食べたいと思っていたら、大きな布のような入れ物が四隅でつるされ、獣や地を這うもの、空の鳥が入っていて、それを屠って食べなさいと言われました。ペテロは「とんでもない、清くない物、汚れた物は食べたことがない」と断りました。すると、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」、というやり取りが三度ありました。夢の中での幻です。
7.コルネリウスは、夢からシモンの家にいたペテロと出会い、カイサリアに招いてペテロの説教を聞きました。そこには多くの人が集まっていました。もちろん外国人もいました。そこでのペテロの説教は、先ほど見た夢(幻)のことです。
8.ペテロは「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」と説教しました。
9.コルネリウスに「なぜ私をここに招いたのですか」と聞いたら、夢でペテロの所に行きなさいと言われた次代を話しました。
10.そこで、ペテロはコルネリウスの家で「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」と説教をし、イエスが十字架に架かって死に、3日目に復活しされたこと、このイエスについて「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」と、証ししました。
11.ペテロは話し続けているうちに、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降ったのでした。そこで、ここでも多くの人が洗礼を受けたのです。
12.鈴木生二著『夕暮になっても光がある』にある「新しいいのちに生きる」に、老人ホームが始まった年のクリスマスに、在園者30人のうち12人(40%)が受洗する、と言う大奇跡が起こって、度肝を抜かれた。わが十字の園22年の歴史の中でこの記録は破られていない。この偉大な神様の御業を讃え、一人ひとりを記念としてその名を長く残したい。相沢直吉、相沢やす、吉田銀蔵、嘉く、鈴木四郎、平田伊吉、河合なつ、村橋かく、村松松蔵、辻村寿々、石川せん、久保田たけの兄弟姉妹である。
という記事があります。

使徒言行録9章17~19節『サウロの回心』

聖書 使徒言行録9章17~19節

そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

1.「回心(かいしん)」とは、「神に背いている自らの罪を認め神に立ち返る個人的な信仰体験のことを指す」とあります。同じ字を仏教では「えしん」と読み、「心を改めて仏道にはいること」をいいます。「かいしん」には「改心」がありますが、キリスト教では「回心」になります。

2.「心を回す」とは意味が深いと思います。私と神との関係で、神に背いている「私」が心を回転させて神に向けること。私たちが心を回すと、そこに、ずっと自分を見ておられた主の姿があります。

3.「サウロ」といわれていたころはキリスト教を迫害をしていました。ステファノの石打のときも立ち会っていてサウロの名前がでて来ました。ローマの市民権があり、ファリサイ派で律法を完璧に守っていたエリートでありました。

4.ステファノが石打の刑のとき、サウロと言われていたパウロも立ち会っていて、ステファノの衣服はたたんでそこに置いてあった。

5.サウロはイエス様に出会います。
 9章3節から「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

6.イエスに出会ったサウロは目が見えなくなってしまいました。
 サウロの目を開けたのはイエスから言われたアナニアです。「幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。『立って、[直線通り]と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ』。しかし、アナニアは一度断りました。『すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

7.パウロは伝道旅行を3度しています。また、獄中のなかも含め伝道の手紙も書いています。見解は異なりますが、『テサロニケ人への第1,第2の手紙』、『ガラテア人への手紙』、『コリント人への第1,第2の手紙』、『ローマ人への手紙』、『ピリピ人への手紙』、『ピレモンへの手紙』、『コロサイ人への手紙』、『エペソ人への手紙』、『テモテへの第1,第2の手紙』『テトスへの手紙』、『ヘブル人への手紙』の14書簡です。

使徒言行録8章4~8節『サマリアで福音を告げ知らせた』

聖書 使徒言行録8章4~8節

4さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。5フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。6群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。7実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。8町の人々は大変喜んだ。

1. ステファノが殺されたその日のうちにエルサレムの教会も襲われ、信徒たちを残し、ほかの信徒たちはあちこちに散っていった。でも、みんな逃げ出したわけではない。逃げた先で信徒たちは、イエス様の福音を告げ知らされたんだ。中でも、スタファノの同僚だったフィリポは、サマリアで宣教と癒しを行い、魔術師シモンを回心させたり、エチオピア人(女王カンタケの宦官の洗礼を授けたりした。こうしてイエス様の福音は、弟子たちによって各地に伝えられることになりました。
2. 2017年の世界の総人口(ブリタニカ2017年版)では、7,432,663千人で、キリスト教は2,447,988千人(カトリック、プロテスタント、東方正教会)で32.9%、イスラム教1,752,045千人(23.6%)、ヒンズー教1,019,421千人(13.7%)、仏教521,492千人(7%)となっています。(東京基督教大学国際宗教センター)
3. 初代の信徒たちの働きは全世界に広まり、今では全人口の32.9%、24.5億人がキリスト教です。
4. アジア45.8億人で3.8億のキリスト者、アフリカは12.2億で6億、ヨーロッパ、北アメリカ、ラテンアメリカ、オセアニアでは多くはキリスト者です。
5. アジアの中でも、フィリピンはキリスト者の比率が高く、また、韓国では25%はキリスト者です。しかし、日本では人口の1%です。
6. 私が住んでいるところで今年は班長になっています。浜松は、凧揚げで各町内で山車を持っていて祭りには町内総出で盛り上げます。半田町は凧揚げには出ていませんが、半田町内に山車があります。私の所には六所神社があり、町内に住んでいると何も言わなければ「氏子」になっています。私はクリスチャンですから氏子にはなっていません。
7. 「氏子」ではないからといっても、班長であるので、まったくの知らん顔はできません。神社の掃除当番が年に1回ありますが、行かなくてはなりませんし、秋の祭りは全体の運営が私の組が当番で、そのための役割がついてきます。
8. イエス様でさえ、自分の生まれ生活したところ、兄弟親戚への伝道は困難でした。同じように、普段の生活している地域や兄弟の中への伝道はしにくいものです。私の場合はクリスチャンとしては親兄弟には認知されていますが、キリスト教の話は伝道として伝えにくいものです。
9. ハニ姉妹は十字の園を「『伝道と奉仕』の団体」と言っています。法人内ではキリスト教の話は大いに結構です。遠慮しないで伝道しましょう。

使徒言行録7章54~60節『ステファノの殉教』

54人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。55ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、56「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。57人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、58都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。59人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。60それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

1.福音と癒しの業で、使徒たちの評判はどんどん上がってきた。でも、大祭司とその仲間のサドカイ派たちは、それをねたみ、使徒たちを捕まえ、最高法院で裁判にかけ、イエスさまのように死刑にしようとした。

2.イエスの死と復活、昇天からあまり時間が経っていないときです。新し起こってきたキリスト教についてはまだまだ受け入れられてはいない時期で、その宗教を伝道するとに対しては抵抗があります。いろいろな迫害、困難なことがありました。

3.ファリサイ派の律法学者ガマリエルによって死刑をまぬがれたものの、使徒たちはこれ以上にイエスの名によって話すなと命令された。おれでも、聖霊を受けた使徒たちは恐れることなく福音を告げ知らせ続けた。

4.ステファノはギリシャ語の呼び方で、英語ではスティーヴン、ステファノス(ギリシャ語)、スティーヴン(英語)、エチエンヌ(フランス語)、シュテファン(ドイツ語)、エステーベ(スペイン語)、ステファン(ロシア語)です。

5.ステファノは、7章1節からペテロたち弟子と同じように、人々の前で説教をし、イエスの福音を語り始めた。それは、アブラムから始まって、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデ、ヨセフなど、旧約聖書のことを語ります。ユダヤ人にはそのことと結びつけることが必要だからです。

6.ステファノは、「不思議な業としるし」によって人々をひきつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられた。そこでもステファノはユダヤ人の歴史を引き合いにしながら「神殿偏重に陥っている」とユダヤ教を批判したため、ファリサイ派によって石打ちの刑に処せられた。

7.この図の中には、「ステファノは神さまの力を証しするすぐれた働きをしていた。キリスト教に反対する人たちが議論をふっかけたけど、ステファノにはかなわなかった。それでかられは嘘の訴えをして裁判にかけてしまったんだ。その場でステファノは『あなたがたはこれまでいつも神さまに逆らってきた』と、堂々と厳しい言葉で主張した。人々は怒ってステファノを『石打ちの刑』で殺してしまった。」と書かれています。

8.ステファノは、キリスト教の最初の殉教者となりました。(信仰のために命を献下駄人のこと)。

9.戦争中に、敵国のキリスト教を信仰していることで捕まえられたり、殺されたりした信者、牧師がいたと聞きました。

10.弟子の死: アンデレ(はりつけの刑)、バルトロマイ(はりつけの刑)、アルパヨの子、ヤコブ(石打の刑)、ゼベダイの子、ヤコブ(首を落とされる)、ヨハネ(信仰のゆえに離れ小島に送られ、生涯を終える)、ユダ(石打の刑)、マタイ(槍で刺し通される)、ペテロ(逆さはりつけの刑)、ピリポ(はりつけの刑)、シモン(はりつけの刑)、トマス(槍で刺し通される)、マッテヤ(石打の刑)

使徒言行録6章1~7節『選ばれた奉仕者たち』

1そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。2そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。3それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。4わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」5一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、6使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。7こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

1.12弟子を中心に集まってきた人たちは、はじめ、持っているものを奉げて分けあい、互いに生活を支え合っていた。

2.ところが、人数が増えてくると、それがうまくいかなくなってきた。12人はみんなに提案し、新しく7人の人を選んで教会の働きを担ってもらうようにした。

3.選ばれた7人は、ステファノ、フィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、ニコラオであった。

4.12弟子の伝道は広まったが、人数が増えると合わせて、これまでのすべてを分け合っていた社会が崩れ始めた。その地域で生活していた人たちは「ヘブライ語を話すユダヤ人」でしたが、そこに移って生活をはじめた新しく加わった「ギリシャ語を話すユダヤ人」からの食べ物などの不公平への不満が出始めた。

5.人の選ばれた基準は、①霊に満ちた②知恵に満ちた③評判の良い人です。

6.このうち、ステファノとフィリポ以外は聖書の中では活躍の姿は記されていない。3つの条件に合う評判の良い人たちであった。信仰深く、みんなから信頼されていた有能な働き手であった。7人の特徴はつぎの表で見ることができます。

7.ステファノの個人情報

8.ペトロたちの伝道から、選ばれた7人の奉仕者も伝道をします。7章から8章にかけてステファノの記事が出てきます。

9. 教会の規模が大きくなる。そこで苦情を申し立てる人たちが出てきた、ということは、信徒同士での意思の疎通がうまくいかなくなった、ということでもあります。教会の規模の大小にかかわらず、意思の疎通がうまくいかない、ということは普通にあることです。まして、数千という単位の信徒になってきた 教会の中で、しかも文化や、言語や、習慣の違う者たちの間で、齟齬が生まれ るのは、当たり前のことです。その時使徒たちは、「祈りと御言葉の奉仕に専念」するため、教会の中に務めを担う人を選出した、ということは、使徒たちは教会の秩序というというものを十分承知していた、ということなのでしょう。

使徒言行録5章1~2、、7~10節 バルナバとアナニア

1ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、2妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

7それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。8ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。9ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」10すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。

1.このころは原始共産の時代で、4:34~35「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。」という生活でした。

2.バルナバという人がいました。
バルナバとは「慰めの子」という意味で、本名はヨセフで、キプロス島の生まれで、彼は、教会のために持っていた畑を売り払い、その代金を献げました。そこから教会員としての歩みが始まりました。

3.アナニアとサフィラはどうしたでしょうか
アナニアとサフィラは夫婦です。今日読んだ聖書の話です。
「ところで」と話がはじまります。

4.アナニアとサフィラは、持っていた土地を売り払い、その代金を教会に献げようとしました。しかし、二人には「自分たちも、バルナバみたいにみんなに『すごい』とほめてもらえるぞ」という下心がありました。

5.「1ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、2妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。」。

6.それから三時間ほどたって妻のサフィラがきました。ペトロは彼女に語りかけました。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。9ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」10すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。

7.バルナバとアナニア夫妻はどう違いますか。

8.アナニアは神への献げものをごまかしました。それも妻のサフィラと示し合わせてごまかしました。バルナバはすなおにすべてを献げました。
その結果、「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」とあり、妻も、ペトロの足元に倒れました。

9.バルナバは教会の一員として働きに加わり、使徒言行録11章には、つぎのような記事があります。
「教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」
伝道者として良き働きをしたのです。

10.クリスチャンは、毎週教会で礼拝の中で献金があるので、献金や寄付は自然の行為ですが、一般的には神社に行ってお賽銭を出すことぐらいでしょうか。

11.今日の話で覚えておきたいことは、神さまは私たちの心のうちまで見抜いているということ。人には嘘や誤魔化しは通用しても、神さまは通用しない。その証拠に、自分の中で葛藤がおきます。そんな経験は誰しもあります。素直に生きたいものです。

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