人格を尊重し、生きる喜び、生きる自由、生きる希望を創ります。

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「こんにちは」 平井です

私には夢があります。希望があります。前を向いて歩いています。
更新情報
★トップ(2017/01/01追加更新)
 →「2017年 新年の言葉」
 →「2016年 敬老の日の言葉」
 →「聖隷の原点と十字の園の創立の精神のこと」
 →「2016年 新年の言葉」
 →「2015年 敬老の日の言葉」
 アルバム
精神的基盤(2017/08/04更新)
 →「直(すなお)」(使徒言行録17:10-12)
 →「エマオへの道で二人の弟子と歩く」(ルカ24:16,30)
 →「主よ、助けてください」(コリントⅡ 12:9-10)
 →「共に生きる」(マタイ福音書1:23)アドナイ館勉強会
 → 「一人称で自分さがし」
★歴史(2016/07/28更新)
 新記事:「ヘリコプターで十字の園に入園」 
 ①「聖隷福祉医療ヘルパー学園」
 ②「ハニ姉妹と聖隷准看養成所」
 ③「老人ホームに生活する高齢者のこころ」
 ④ 1996年度からの歩み 1期~4期
 ⑤「十字の園老人ホームが出来るまで」DVDシナリオ
 ⑥「十字の園50年の歩み」DVDシナリオ
 ⑦「三方原保養農園物語『ただ一筋にこそ』」舞台シナリオ
★機関誌投稿(2017/08/04更新)
 →御殿場十字の園「イルド」8月号
 →法人「ぶどうの木」2017年7月(43号)
 →御殿場十字の園機関誌「イルド」
 →法人機関誌「ぶどうの木」
 →御殿場十字の園機関誌「イルド」
 →「やまばと」寄稿『中国の教会とキリスト教』
 →「給食協会」寄稿『中国食紀行』
★福祉(2016/08/05更新)
 →ハニ姉妹の鈴木唯男先生への直筆の手紙
 →鈴木唯男先生の療養記録(昭和12年4月~
 →新生会公開講座一部「障がい者福祉について」
 →「神の国の種を蒔こう」の本からの『ことば』連載
福祉会計(2013/12/27更新) 
 →理事会に新会計基準の決算書を提出しました

  ☆ご意見をどうぞ 理事長アドレス chairman@jyuji.or.jp

2017年 新年の言葉

 

わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。

 (エゼキエル書三六章二六節)

 新年明けましておめでとうございます。年の始めにあたって、日々が神さまの中に平穏であることを願います。
 日々の聖句(ローズンゲン)の二〇一七年の聖句は、「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。」です。この聖句は三年前に「世界教会の聖書を読む会」によって選ばれました。情報は豊かになりましたが、当時はアメリカの大統領にトランプ氏が選ばれることも、韓国の朴槿恵大統領が弾劾されることも、イギリスがEUを離脱することも予測できませんでした。世界の動きも、日本の動きも、また私たちの動きも神さまは全てお見通しです。
 十字の園の定款には「この社会福祉法人は、キリスト教精神に立って…」と入っていますので今更でしょうが、社会福祉法の改正によって、四月からは、定款の中に法人の運営の精神を盛り込むことができるようになったのです。改めて「キリスト教に立って」思いを寄せたいと思っています。
今年の聖句には、神さまから十字の園に、各施設に、事業所に、個々の職員に 「新しい心を与え」と「新しい霊を置く」とあります。宗教としてでなく、信仰としてではなく、神さまの側から「聖霊」が働き、新しい心を与えてくださるのです。クリスマスに三人の博士が、生まれたばかりのイエスさまに「黄金・乳香・没薬」を奉げたように、純粋に祈り、信じて、受け入れて、感謝の年にしたいと思います。わたしたちの思いではなく、♬主にまかせよ汝が身を、主は喜び助けまさん(讃美歌二九一番)♬とあるように、神さまを見つめ、神さまの思いに身をまかせる、「神のみ心」が何であるかを知ることです。時代が変わり、制度・法律が変わり、働く人が変わっても、変わらない「聖書のみことば」に道を求めるようにしたいものです。そして、初心に戻り、神さまの栄光のために思い切り働いていきましょう。
 お一人おひとりの上に、救い主イエスの御恵みと御祝福と御導きが豊かにありますよう心よりお祈り申し上げます。
 2017年1月

2016年 敬老の日の言葉

 
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。          (テサロニケの信徒への手紙五章一六節~一八節)

 2016年「敬老の日」おめでとうございます。利用者の方々、ご家族、ボランティア、ご来客の方々そして献身的に働いておられる職員の方々、すべての人に神様の恵みと祝福と励ましが豊かにありますようにお祈り申し上げます。

 8月6日始まったオリンピックは、ブラジル・リオデジャネイロを舞台に世界に多くの感動を届けました。日本は史上最多の四一個のメダルを獲得し、陸上の400メートルリレーでは過去最高の銀メダルでした。そして、九月七日からはパラリンピック競技が始まりました。一九六四年に東京で開催されたのが最初で今回は15回目です。
 「失われたものを数えるな、 残された機能を最大限に活かせ」がパラリンピックスポーツの理念です。パラリンピックは障がいの「種類」や「程度」によってクラスを分け、公平な条件のもとで競技を行います。北京大会で主将を務めた聖隷クリストファー高校出身で競泳の鈴木孝幸選手は、初めてのアテネのリレーで銀、北京では金と銅、前回ロンドンは二種目で銅メダルを取りました。生まれつき右腕の肘から先と両脚の一部がないという障がいですが、「残された機能を最大限に活かせ」とトレーニングを重ねて鍛えあげた身体はアスリートそのものです。リオでは再び得意の平泳ぎで金を目指しています。

 今年の聖書は、テサロニケの手紙から「どんなことにも感謝しなさい」を選びました。「メダルが取れたのも育ててくれた先生、仲間、家族と応援してくれた皆のおかげです」と多くのメダリストがインタビューで応えています。人は一人では生きていけません。振り返ってみれば、多くの人と出会い、多くの人に助けてもらって今日があります。自分のできることは精一杯やりましょう。これを「自助」といいます。でも、できないところは助け合いましょう。これを「互助」といいます。些細なことにも「感謝」しましょう。感謝とともに、「いつも喜び」、「絶えず祈り」ましょう。
 長生きも栄誉です。ついに100歳以上が六万5692人になりました。嬉しいですね。ところで、100歳になると銀杯をもらえるのですが、対象者の増加に伴って膨らんだ事業費を抑えるために、今年からは、純銀製が銀メッキに変わるようです。「敬老の日」ですから、国も一緒に喜んでほしいものです。
 改めて、利用者の方々、ご家族、ボランティア、職員、すべての皆様、敬老の日おめでとうございます。

『聖隷の原点と十字の園の創立の精神のこと』

 2016年6月25日に聖隷の創始まえから聖隷学園の働きに携わった鈴木唯男先生が天に召されました。ハニ姉妹の追悼記念会の時の鈴木唯男先生のお話を一部掲載します。

1.エゴの問題、自己中心的な生き方の問題の解決
 「よきサマリヤ人」の話を聞いたとしても、私たちの中に何事も起こらない。しかし、長谷川さんはそこで、本当にエゴの問題、自己中心的な生き方の問題を解決しようということを、実践を持って取り組んだのだと思います。聖隷の事業の原点をそこに据えたということだと思います。しかし、そういうエゴの問題、罪の問題、そういう課題に取り組む場合に、永遠の神の前に立っての礼拝から与えられる敬虔なしには、朝(あした)に決心してもたちまち夕べには崩れてしまう、難しい課題だと思いますね。そういうことですから長谷川さんは、クリーニングの時代から非常に厳しい罪との戦いを現実の生活の中で貫いていたということを思います。働く者が、この仕事は人間として罪人としての自覚と贖罪愛に依り頼んで生きることなしには、隣人愛の仕事はまっとうできないということを、毎日説き続けながら、聖隷の仕事は、本当に当初の姿勢を保ち続けることを努力してきたと思いますね。
私が昭和12年にクリーニング店から結核患者と共に生きる仕事に移った時には、朝4時半頃に起きて、まず長谷川さんのカルヴァンの綱要の講解から始まって、そして仕事にかかり、朝ご飯の前に患者さんと共に礼拝をする。そして私の行く前まで、夜は一日の懺悔会ということをやっていた。そういう厳しい実践の中で、神に仕え、結核患者に仕えることの意味を、そこで味わい検討する。その頃は、そのような生活が毎日なされていました。ですから、そういう神中心の人格主義のもとでは、働く者も患者さんも全く同一でした。贖罪の恩寵に預かる同調者であったですね。ですから聖隷の初めの頃も職員と患者さんと両方で聖隷が築かれて行き、聖隷が立てられて行ったということを思います。

2.何時までも神様の力の大きさで
 そういう聖隷にハニ姉妹が遭わされてまいりました。そして、十字の園へと業が発展したのです。「十字の園老人ホームが出来るまで」という西村ミサ先生の本がありますが、その中に『羽仁姉妹はある時、「老人ホームは聖隷の法人でなく、別の法人を作ってやりたいと思います。いけませんか。聖隷は大変大きな施設がたくさんあります。長谷川先生もっともっとたくさんにするでしょう。長谷川先生の信仰の力、大きいからできます。長谷川先生いなくなったら、だんだん人間の力大きくなります。神様の力なしの人間の力でするようになります。その時まで、何時までも老人ホームは神様の力の大きさでやりたい、わたしたち働く人、みんなキリストの十字架の下でだけ一つになって動く団体にしたい。そのため、別の法人にしたい。わかって下さいますか。いけませんか』との対話が書かれています。こういうハニ姉妹の毅然とした態度、これは何ものも恐れない神の前に対する真の敬虔から生まれた態度であろうと思います。そこからハニ姉妹は、本当の優しさ、細やかさ、そして多くの人々に感動を与えたのだと思います。

3.一人の患者の今日のニーズに応えて仕事をする
 私は、ハニ姉妹のことを語り得ませんけれども、ハニ姉妹と黎明館という所で、少しの間一緒に仕事をすることがありました。この仕事の中でハニ姉妹は、言葉では一言も私に教えることはなかったのですが、ハニ姉妹の態度によって厳しく教えられたという思いが致します。そういうことは、毎日の仕事の中で、一人ひとりに出会うことにおいて、私たちは大勢の患者さんに仕事をしていて、次から次へと仕事が流されていく、流れ作業的な中で仕事をしてしまうのですが、それをハニ姉妹は厳しく観察していました。
 私たちはつい大勢の患者さんの仕事をしていて、その仕事は流れて行く。一人ひとりの患者さんに対する心への呼びかけがほとんどないまま仕事が流れて行く。しかし、ハニ姉妹の態度から、看護の仕事はついでにしてはならないと、厳しく教えられました。私たちは、どうしても大勢の患者さんと思いながらに一人の患者さんに対する仕事をしています。ですからその中では、次から次へと仕事がついでに流れていき、一人の患者さんとして出会った時の心のつながりが生まれてこないのです。そういう看護の姿を、本当にハニ姉妹に教えられました。ハニ姉妹は、一部屋一部屋新しい感覚でその部屋に臨み、一人ひとりの具体的な事実にふれて、初めていかがですかという言葉を発するのです。人格的なつながりができた上で呼びかけをするということをきちっとしていました。ほとんど私たちの仕事は、何も見ない、何も触れない、何もつながりのない心で、いかがですかという言葉が空しく流れていきます。そういうものを厳しく教えられました。ハニ姉妹か一人ひとりの患者さんにその都度新しい感覚で、今日の患者さんの思いを自分の思いとつながったところで、初めていかがですかと言葉が発せられる。それは、ハニ姉妹の人格の尊重というところ、本当に患者さんを大事にするという、一人の患者さんの今日のニーズに応えて仕事をすることが厳しく問われていたと思います。そういうことを、私はハニ姉妹の実際の生活、働かれた姿の中で教えられました。私たちは、お年寄りに対しても固有名詞で接することをしないで、おじいさんおばあさんという接し方をしてしまいます。患者さんたちという対象で、固有名詞かなかなかそこで出てこない。誰それというつながりということが、生まれてこない状況で、人間関係での仕事がなされていく。そういうところを私はハニ姉妹に教えられました。相手の心に染みわたるような、そして相手の心にうずきつづけるような出会いや、語りかけをするということがどうしても必要だということを思います。いくら出会っても、それが流れてしまう、そういう出会いではそこに人格的なつながりか生まれてきません。本当の苦しみ悲しみが、そこでは感じとれない、看護の対象にならないということを私は教えられました。おそらく実際に、十字の園で接した方は、もっと深くハニ姉妹のことに触れておられると思います。

2016年 新年の言葉

 
 母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。
 エルサレムであなたたちは慰めを受ける。
             (イザヤ書六六章一三節)

 新年明けましておめでとうございます。今年はどんな年になるでしょうか。
 日々の聖句(ローズンゲン)の2016年の聖句は、「母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。」です。この聖句の前10節には「彼女の慰めの乳房から飲んで、飽き足り、豊かな乳房に養われ、喜びを得よ」とあり、12節には「乳房に養われ、抱いて運ばれ、膝の上であやされる」とあります。頼りなく無邪気な赤ちゃんを聖書は「幼子」と言います。天地創造の神は、6日目に「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」として人間を創造し、「そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」と人間に任せました。しかし人間は、任されたものを人間の都合のいいように取り扱いました。それを自己中心、自分勝手といいます。それが聖書でいう「罪」になります。
 今年の聖句から「幼子(おさなご)」、そして「素直(すなお)」が浮かびました。「素直」とは「ありのまま、飾り気のないさま」をいいます。「幼子」の姿です。コリント前書に「幼子だったとき、わたしは…幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた」というみ言葉があります。大人になるにつれ、わがままでカッコつけた生き方になっていきます。キリスト・イエスに「素直」の模範があります。「キリストは…人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」。
 戦後70年といわれる年に「安全保障関連法」が成立してしまいました。保守勢力の奢りは続きます。一般人の生活に心を向けてほしいものです。「愛の反対は無関心」。政治は貧困、虐待、心の病を救えません。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」ことが「平和と安全」への道です。今年はどんな年になるでしょうか。「共生社会」(みんな一緒に生きる社会)の創造、新たな福祉の創造に挑戦したいものです。」
 お一人おひとりの上に、救い主イエスの御恵みと御祝福と御導きが豊かにありますよう心よりお祈り申し上げます。
2016年1月

2015年 敬老の日の言葉

神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。/主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。/白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし/述べ伝えるでしょう。/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。 (詩編92編13節~15節)

 人間が生まれてから死ぬまでの時間を平均寿命といい、日本の女性が86.83歳、男性が80.50歳です。日常的に介護を必要としない自立した生活ができる時間のことを健康寿命といい、女性73.62歳、男性70.42歳です。この二つの期間は女性が13.21年、男性が10.08年です。周りに支えられながらも「自分らしく」生きたいものです。

 「なつめやし」は、聖書(黙示録)にある「いのちの木」のことで、寿命は200年と長寿です。「レバノンの杉」は、樹々のうち最も美しく、聖書には「栄光」「力」「荘厳」などの比喩に用いられています。「神に従う人」はそのような木として「主の家に植えられ」「神の庭に茂り」、「白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきと」します。

 100歳以上の人口が58220人になりました。50年前は198人ですから驚きの数です。
 寝たきりだった104歳の堀内さんは、夏祭りに生まれて初めての手筒花火に感動して、「生きてて良かった!長生きはするもんだ。」と言い、次の日から生きる力が湧きあがり、一か月後には自分で車椅子を運転していました。こうして堀内さんは108歳と10カ月の長寿を全うしました。十字の園の長寿記録者です。

 イギリスの詩人のロバート・ブラウニングの名言に、
 「人生はやはりいい。『生きている』もうそれだけで素晴らしい」
というのがあります。
同じブラウニングの「ラビ・ベン・エズラ」という詩も紹介しましょう。
 「老いゆけよ、我と共に! 最善はこれからだ。
  人生の最後 そのために最初も造られたのだ。」

2015年 新年の言葉

神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。(ローマの信徒への手紙15章7節)

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年の干支は羊です。聖書には、「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」とあります。師走の選挙で与党が圧勝しました。強い者はさらに強くなり、弱い者は置き去りにされそうです。政治での憲法改正・社会保障・秘密保護・原発問題などや、身近な生活での貧困・虐待・心の病などいろいろと気になることがあります。迷える子羊のことが気にかかります。
 日々の聖句(ローズンゲン)の2015年に選ばれた聖句は、「あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」です。本の巻頭に「互いに受け入れるということは、視野を広げることでもあり、世の中の多くの人々の苦難にも触れることになります。さらに、それらを祈りに覚えることで重荷を負い、愛を実行することになるのです」と記されていました。そのヒントが、ローマの信徒への手紙15章1節にある「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり」と言うことでしょう。社会事業、社会福祉に通じる言葉です。
 自分を強い者と自惚れたり、弱い者と卑下したりしていませんか。聖書に羊と羊飼が登場します。人々が「羊」で、イエス様が「羊飼」です。群れから迷る出る羊がいます。讃美歌で♪とうとうやさしい羊飼は、迷子の羊を見つけました。抱かれて帰るこの羊は、喜ばしさに踊りました♪と歌います。イエス様は群れの中の一人ひとりと共にいます。「わたしは良い羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。」「よい羊飼は羊のために命を捨てる」のがイエス様です。「いと高きところに栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」と天使が歌っています。
 今年はどんな年になるでしょうか。視野を広げて、地域社会に暮らす人たちを祈りに覚える年としたいものです、お一人おひとりの上に、救い主イエスの恵みと御福と導きが豊かにありますよう心よりお祈り申し上げます。
2015年1月1日

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